Posted on 2015年5月1日(金) 15:12
下野新聞 2015年(平成27年) 3月18日(水曜日)
教えることは「共育」
八木 仁

私が大学を卒業し、採用してくれた会社は工業資材を扱う商社だった。急成長中の会社で4月に入社すると、夏までに第二新卒、翌春には後輩ができるという状況だった。
そこで3年間お世話になり、父が創業した弊社に戻った。当時は自分より下の社員はわずかで、ちょうど10歳上が集中していて、自分との間に社員はいなかった。同業者も似たようなものだった。
私は団塊の世代より10歳下で14歳の時に石油ショック(1973年)を経験した。日本は高度成長期で、企業はそれまで継続レて新卒者を採用してきた。その後、石油ショックを機に今までより低成長となり、特に弊社のような製造業は採用を控えるようになった。石油ショックから10年、私たちが23~25歳の就職年代に入ったころから各企業が採用を再開した。弊社もその時期、新卒者の定期的な採用ができなかったため、年齢構成に空白が生まれた。
しかし、以前勤務した会社は市場が拡大したことから、採用を続けていた。入社して後輩ができたばかりでなく先輩も一つ上、二つ上、三つ上とそろっていた。両社を見て、とりわけ社員教育に違いを感じた。
10年間後輩ができなかった人は、苦労して身につけてきたことでさえも「当たり前のこと」と忘れてしまうようだ。教え始めて「なぜ理解できないのか?」となり、教えるのが面倒になり、最後は「見て覚えろ!」に落ち着く。新卒者に対して、先輩や会社の教え方が悪いとは考えられないので、この会社は自分には合わないと考え速攻、退社してしまう。
前の会社では指導の中心は入社2~5年の社員で自分たちが「分からなかったところ」「失敗した事例」から教えてくれた。大先輩から緊張して教わるのとは違い、気安かった。象徴的だったのは全社的に「教えると覚えるの限界」を意識していたことだろう。分からないことに対して、お客さまも含めて、周りに「聞く」ということを徹底的に仕込まれた。特に「聞けなかった」ということに対しては「なぜ聞かなかった」とよく叱られた。
このような経験から苦しい時もあったが、弊社はこれまで、毎年のように新卒者を採用してきた。そして前の会社で行われてきたように入社3、4年の社員が中心となり新人を指導してきた。
数年前、新入社員として「一から十まで」教わっていた社員が、自身も大変だったという気持ちが残っているので、根気強く新人を指導してくれる。その社員たちは後輩ができるたびに成長し、頼もしくなっていく。
上司や周りの社員も、新卒者がきちんと理解していたかを確認できる。新入社員が、よくつまずくところがあれば、全社的にどうすればよいかも検討できる。中小企業家同友会では「共育」「共に育つ」という言葉を使う。新卒者を採用していくことは、まさに「共育」のベースとなっている。
県中小企業家同友会代表理事。
神奈川県出身。
民間企業に勤めた後、1985年に熱成形加工のシンデン(本社・小山市)に入社、97年から社長。「成長戦略の根本は人」とし全社員の年齢を構成表で管理。先輩から後輩への技術伝承に力を注ぐ。
小山高専地域連携協力会副会長。
法政大卒。茨城県古河市在住、55歳。
Posted on 2015年3月9日(月) 10:44
下野新聞 2015年(平成27年) 2月11日(水曜日)
私たちは「中継者」
八木 仁

当社は創業48年目を迎える。父の後を継ぎ、私が社長となり、19年目になる。引き継いでしばらくして「会社を創った時、こんなに長く続くとは思わなかった」と父がつぶやいた。
当時、父が社長の時には出なかった問題が噴出し「まったく後のことを考えていない!」と少しイライラが募っていたが、父の言葉で「創業者」を陸上競技になぞらえ理解した。
父たち「創業者」は、100メートル走だと思いスタート。それが、200メートル、40Oメートル…、やがて長距離となり、競技場を出てマラソン。疲れてきて「ああ、これは駅伝だったのか」と悟る。そして、そこから誰にタスキを渡すのかを考え始めるのか…。
「中小企業家同友会」は、1957年に東京で誕生し、全国47都道府県、約4万4千人の会員を擁する経営者団体である。個人事業主を含む中小企業経営者とその後継者、それに準ずるもので構成されている。
58年前、なぜ「企業家」という名称を使って設立したのか、経緯はわからないが、私はこの言葉に引かれる。
「企業家」と「経営者」は同義語で「企業家」の「家」は「者」と同じ意味だ。しかし、武道家、茶道家などの「○○家」は、伝統技能などを継承する者を意味する。結婚式の看板「祝○○家」は、一族や家族全体を意味するが、夫婦・親子の綿々としたつながりも想像させる。さらに大きくなると「国家」だ。「家」という字は、背景に縦軸と横軸、つまり「広がり」と「歴史」を背負った字だと思う。
いろいろな方から「企業は永続するのが原則」と教えられてきた。構成する従業員と代表、さらに大半のところは仕事も入れ替わることにより、企業は存続する。
そのためにまず「企業家」は、その代表として、先代たちが創り上げ、守ってきたものを理解し、良いところは継承し、おかしなところは改革して、企業のかじ取りを行う。そして引き継ぎ時期に向かって、先代からのものと、自分が積み重ねてきたものを、次の世代に託していく。
ところで昨今、後継者がいないことによる廃業が問題となっている。私は、この「後継者」という言葉に違和感を覚える。「後」の字に「前編、後編」で、物語の完結を連想させられるからだ。
私は「後継者」ではなく、「中継者」の方が妥当だと考える。
後任を選び育て、次の「中継者」が、意気揚々とスタートできるよう準備することは、前の「中継者」の仕事である。
タスキを渡レたとき「後は俺に任せろ!」とスタート。その背中を「頼もしい!」「あいつならできる」と感じながら送り出すことは、私たち「中継者」の夢だ。
当社に、父の創るものにあこがれて入社してきた者がいる。私たちも、この父親のように、まずは「あこがれ」、「目標」とされる「中継者」でありたいと思う。
県中小企業家同友会代表理事。
神奈川県出身。
民間企業に勤めた後、1985年に熱成形加工のシンデン(本社・小山市)に入社、97年から社長。「成長戦略の根本は人」とし全社員の年齢を構成表で管理。先輩から後輩への技術伝承に力を注ぐ。
小山高専地域連携協力会副会長。
法政大卒。茨城県古河市在住、55歳。
Posted on 2015年3月6日(金) 09:58
発行日:2015年 2月28日
発行者:栃木県中小企業家同友会
〒321-0968 栃木県宇都宮市中今泉2-3-13
TEL 028-612-3826 FAX 028-612-3827
E-mail:t-doyu@ninus.ocn.ne.jp
URL:http://www.tochigi.doyu.jp/
企画編集:広報委員会 印刷:有限会社 赤札堂印刷所
※左の画像をクリックするとPDF版がご覧いただけます。
Posted on 2015年3月6日(金) 09:51
News Topic 01 全国の話題 ~中小企業家同友会全国協議会から~
われわれはいま、
アベノミクス不況の中にいる!
今年1月9~10日、東京・中野サンプラザで中同協の幹事会が開催され、全国約150名の各県代表理事、事務局長等の幹事が集まった。
1日目は、駒澤大学経済学部教授・吉田敬一氏の基調講演「地方創生とエネルギー・シフト~仕事づくり・地域づくり~」だった。昨年12月に実施された中同協の景況調査では、「アベノミクスは大企業の話、中小企業はアベノミクス不況の真っ只中」であることが浮き彫りとなった。その中で謳っているエネルギーシフトは、仕事を創造していく「ビジネスシフト」であり、特に、地域から出ていくお金(例えば灯油代等)の流失を防ぐ方法を考えることが新ビジネスや雇用につながるというものである。地方は、何かを新しく作り出さなければならないと気張るのではなく、未来に向かって、過去からの「その地域の財産・文化」を見直し、積み重ねていかなければならないと理解した。
2日目は、主に7月の定時総会の議案書の骨子が示された。主な活動方針は、第1に「人を生かす経営」で、強じんな体質の企業を目指し、第2に、地域づくり、経営環境改善に取り組んでいくことが示された。第1は略すが、第2の主なものは、引続き外形標準課税拡大反対、「経営者ガイドライン」の活用、中小企業振興条例の制定、そして閣議決定5周年の中小企業憲章、エネルギーシフト等への取り組みである。
また、新e-doyuの本格稼働は、今年9月27日を計画しているとのことであった。
[報告] 代表理事 八木仁 / (株)シンデン
Posted on 2015年3月6日(金) 09:49
お知らせ
八木代表理事が下野新聞の「しもつけ随想」に寄稿
昨下野新聞の「しもつけ随想」に、栃木県中小企業家同友会・代表理事の立場で寄稿する。掲載日と記事の内容は以下の通り。迷っている部分も多いので、会員のみなさんからのアドバイスを仰ぎたい。なお、(株)ビジュアルの専務の深澤明子さんも同記事に寄稿する(1/21、2/25、4/1、5/6、6/10)。
第1回 2/11(水) 私たちは中継者
第2回 3/ 4(水) 教えたことは、覚えない
第3回 4/22(水) 新4号工業地帯
第4回 5/13(水) 中小企業は国家の財産
[報告]代表理事 八木 仁/(株)シンデン