下野新聞「しもつけ随想」(平成27年3月18日)

下野新聞 2015年(平成27年) 3月18日(水曜日)

教えることは「共育」

八木 仁

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私が大学を卒業し、採用してくれた会社は工業資材を扱う商社だった。急成長中の会社で4月に入社すると、夏までに第二新卒、翌春には後輩ができるという状況だった。

そこで3年間お世話になり、父が創業した弊社に戻った。当時は自分より下の社員はわずかで、ちょうど10歳上が集中していて、自分との間に社員はいなかった。同業者も似たようなものだった。

私は団塊の世代より10歳下で14歳の時に石油ショック(1973年)を経験した。日本は高度成長期で、企業はそれまで継続レて新卒者を採用してきた。その後、石油ショックを機に今までより低成長となり、特に弊社のような製造業は採用を控えるようになった。石油ショックから10年、私たちが23~25歳の就職年代に入ったころから各企業が採用を再開した。弊社もその時期、新卒者の定期的な採用ができなかったため、年齢構成に空白が生まれた。

しかし、以前勤務した会社は市場が拡大したことから、採用を続けていた。入社して後輩ができたばかりでなく先輩も一つ上、二つ上、三つ上とそろっていた。両社を見て、とりわけ社員教育に違いを感じた。

10年間後輩ができなかった人は、苦労して身につけてきたことでさえも「当たり前のこと」と忘れてしまうようだ。教え始めて「なぜ理解できないのか?」となり、教えるのが面倒になり、最後は「見て覚えろ!」に落ち着く。新卒者に対して、先輩や会社の教え方が悪いとは考えられないので、この会社は自分には合わないと考え速攻、退社してしまう。

前の会社では指導の中心は入社2~5年の社員で自分たちが「分からなかったところ」「失敗した事例」から教えてくれた。大先輩から緊張して教わるのとは違い、気安かった。象徴的だったのは全社的に「教えると覚えるの限界」を意識していたことだろう。分からないことに対して、お客さまも含めて、周りに「聞く」ということを徹底的に仕込まれた。特に「聞けなかった」ということに対しては「なぜ聞かなかった」とよく叱られた。

このような経験から苦しい時もあったが、弊社はこれまで、毎年のように新卒者を採用してきた。そして前の会社で行われてきたように入社3、4年の社員が中心となり新人を指導してきた。

数年前、新入社員として「一から十まで」教わっていた社員が、自身も大変だったという気持ちが残っているので、根気強く新人を指導してくれる。その社員たちは後輩ができるたびに成長し、頼もしくなっていく。

上司や周りの社員も、新卒者がきちんと理解していたかを確認できる。新入社員が、よくつまずくところがあれば、全社的にどうすればよいかも検討できる。中小企業家同友会では「共育」「共に育つ」という言葉を使う。新卒者を採用していくことは、まさに「共育」のベースとなっている。

県中小企業家同友会代表理事。
神奈川県出身。
民間企業に勤めた後、1985年に熱成形加工のシンデン(本社・小山市)に入社、97年から社長。「成長戦略の根本は人」とし全社員の年齢を構成表で管理。先輩から後輩への技術伝承に力を注ぐ。
小山高専地域連携協力会副会長。
法政大卒。茨城県古河市在住、55歳。

栃木県中小企業家同友会

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