Posted on 2013年10月29日(火) 13:49
第 30 回
廣木 智代 会員
株式会社HIROKI代表
「会社設立秘話」

2011年3月3日、主人から電話がかかってきた。
「20日までに会社を作ってくれ」
その日主人は、その時勤めていた会社の解散を元請けに報告に行っていた。会社解散後の主人の仕事は白紙状態だった。そこで、元請け会社が主人が20日までに法人を立ち上げるなら今後仕事を回せると言ってくれたのだ。真面目に仕事をしてきた主人の働きが買われたようだ。
その日のうちに私は司法書士を訪ね、法人設立の依頼をし、準備を始めた。3月11日、すべての書類の準備が整い司法書士に提出に行った。私はちょっとほっとしていた……。
だが、それは束の間だった。東日本大震災が帰宅途中に起きたのだった。一瞬にして私は不安に陥った。これから日本は、そして私たちはどうなるのだろう?
しかし、私たちは立ち止まるわけにはいかなかった。トッラクや道具の準備に始まり、保険加入や会計事務所の選定、そして勤めていた会社の清算。とにかく休む暇なく動いた。
この時初めて主人にファイナンシャル・プランナーという私の職業の価値を認めてもらえたようだ。そして今は夫婦二人三脚の日々を歩んでいる。
Posted on 2013年7月19日(金) 12:21
第 29 回
横松 陽子会員
とちぎユースワークカレッジ代表
絵画鑑賞は、心を癒やす「人薬」
皆さんは「人薬」という言葉を耳にしたことがありますか?
人が心の傷を癒すときに、他者とのかかわりが薬のように効いて、心が回復できるという意味で使われる言葉です。
私が運営する「とちぎユースワークカレッジ」はそんな人との関わりのなかで、意欲を取り戻す場としてスタートし、5年目を迎えようとしています。
現在14名の若者が、セミナーを受けたり、畑仕事をしたり、体育祭の企画を練ったりと、共に時間を過ごす中で少しずつ次の一歩へのエネルギーを蓄えています。
こうした不安の強い若者と向き合う日々の中、私のストレスの解消は絵画鑑賞、私にとっての人薬です。先日も宇都宮美術館の企画展クリムト「黄金の騎士をめぐる物語」に出かけ、『哲学』と出合い、ざわざわしていた心を鎮めてきました。
私にとって絵画鑑賞は、美しいものを見たいという感覚とは少し違っています。
心を動かされる絵に出合う度、絵を描いた作者、その絵に惹かれ大切に維持してきた人々、そしてこの絵を日本に届けるために動いた人々、会ったこともない多くの人々と自分の気持ちがどこかで繋がっていることに、不安やストレスで波立っていた心が落ち着いていくのです。「私と同じように、この絵に心を動かされた人がいる」そんな感覚がとても好きで、心を動かされる絵を探しに県内外の美術館に足を運んでいます。
ちなみに好きな作家ではウィリアム・ターナー、特に初期の作品に心が動かされます。
Posted on 2012年11月13日(火) 09:28
第 28 回
加藤 臣聖会員
(有)高根沢ゴルフパーク
Team Hoytと トライアスロン
皆さんはTeam Hoytをご存知でしょうか。私は5、6年前にテレビ番組で特集しているのを偶然目にしました。以来、頭の片隅にずっと記憶されている、現在進行形の親子の物語です。
息子のリックは出産時の事故で脳性麻痺と全身麻痺になってしまい、一人で動くことも話すこともできない状態になってしまいました。ただ知能には問題は無くパソコンを使い意思の疎通は可能でした。
ある時、その息子からマラソンに出たいとメッセージを受ける。父、ディックは太っていて運動なんかしたことない体でした。それでも車椅子を押してなんとか2人で完走すると、リックから「生まれて初めて自分が障害者だということを忘れていたよ」と伝えられる。
これをきっかけにディックは体を鍛え車椅子を押しフルマラソンに挑戦。更には一番過酷なスポー ツの中の一つとして数えられるトライアスロンのアイアンマンレースにも挑戦。息子をゴムボートに乗せ3.9キロ泳ぎ、自転車で180キロ走り、42キロのマラソンも車イスを押し完走するという偉業を成し遂げたのです。
彼らの挑戦を見ていると、人間に不可能はない、やればできるというメッセージを強く感じます。 そんな親子に刺激を受け去年初めてトライアスロンに挑戦しました。いつの日か自分もアイアンマンレースに出たいと思っています。
Posted on 2012年11月9日(金) 13:17
第 27 回
鈴木 正則会員
アデラ・コンテンポラリー 代表
「伝える」を仕事に
今年より新入会員となりましたフリーライター&エディターの鈴木正則と申します。初対面の方には珍しがられる職業のようなので、この場をお借りして自己紹介を。
都内の出版・編集プロダクション等でみっちりと経験を積んだ後、宇都宮で起業してかれこれ13年目になります。主に出版社、新聞社、印刷会社、広告代理店、デザイン事務所、Webシステム開発会社などとのお取り引きで、新聞、雑誌、書籍、フリーペーパー、Webサイトなどの取材・原稿執筆に携わってきました。
起業後、ず〜っと個人事業主のまま続けてきたわけですが、個人でやれることに限界を感じ、組織化を視野に入れていた矢先、県例会にオブザーバーとして参加させていただいたのをきっかけに、自ら門を叩いたというわけです。
さて、ひと口にライターといっても、そのスタンスはさまざまです。本来はジャーナリストとしての書き手を意味しますが、私の場合は文章を書くのが好きでこの仕事を選んだわけではなく、あくまでも職業ライターに徹しています。自己表現でないところが作家やエッセイストと大きく違うところ。中立的な「記事体」を熟知したプロのライターとして、ターゲットごとに焦点をあてた的確な文章表現が強味といえるかもしれません。一般読者やユーザーの“琴線に触れる表現”にこだわっています。
Posted on 2012年6月26日(火) 12:02
第 24 回
橋本 秀則会員
(有)ニイアス 代表取締役
県南支部会員
萩の旅
5月19日幕末・明治維新の一大拠点となった長州藩、萩に出かけた。駅前で自転車を借りて萩城城下町一帯は江戸後期にタイムスリップした錯覚におちいる。
この地域には吉田松陰の門下や盟友の誕生家も集中している。たとえば、高杉晋作・木戸孝充(桂小五郎)・青木周弼の生家などである。幕末長州の原動力となった松下村塾は、城下町から約2キロの郊外にあり、とても小さく貧しい寺子屋のような建物だが、高杉晋作、久坂玄瑞、木戸孝充、伊藤博文、山県有朋、井上馨・・・・と数えきれない人物を育てた。たった2年半の間の教育であり、時代の追い風もあったにせよ日本の歴史での中で最も優れた教育機関かもしれない。

萩は歴史のロマンを感じるとともに、激動の時代を切り開いた人物は、なぜか短命で戊辰戦争で東北、函館まで転戦した奇兵隊の多くは、明治になって不遇な人生をお送り、明治に権力を手に入れ地位と名誉を手に入れたのは、ほんの一握りで足軽などの身分にいた人物だった。
吉田松陰や高杉晋作、久坂玄瑞らが作った明治はどんな時代だったかを想像しながら萩の町を去った。新明日