No.161_News Topic:栃木のNEWS

News Topic 04 栃木のNEWS
~県央支部10月例会~

「わからない」から始まる学びあい

“久しぶりに例会らしい例会だった。たのしかった。”

例会の最後に行ったサークルアップ(感想会)での発言。10月県央支部例会、参加者は総勢14名。 「学び合いの教室」をつくっていく新任の男の先生と14人の子どもたちとの1年を追うドキュメンタリー、小学3年生の授業風景の映像を見てグループ討論を行うかたちで例会を行う。

「わからない」をいえること

それが「学び合い」のはじまりだ。それでも、いままでの経験から萎縮し、馬鹿にされると思って「わからない」を言えない子どもの姿があった。まず、「わからない」といえる関係性をつくるところから先生の活動は始まる。

いままでと違う授業のやり方。丸がつく正しい答えをかけばよかったのが、わからないことをわからないといえる事を求められる。子どもも母親もとまどう。何度もなんども連絡帳を介しながらのやり取りが続く。1学期をかけ、子どもが「わからない」をいえるようになる。そうなったときに、“答えを求める”から“やり方を考える”になっていた。

「円」とはなにか

子どもたちは、それぞれの思う円って何かを話し合い、描いたりする。ある子どもは丸い紙を折ることで中心を発見し、ある子どもはヒモを使ってコンパスを発明する。

教科書にたよらないで子どもたちは考える。自分たちの知っていることから、時間をかけて協力しあってみんなで考え方をまとめ上げて「円」を再発見していく。

「シンくん」との関わり合い

計算でわからないところを算数のできる友達にしつこく聞く特別学級にいたこともあるシンくん。友達は何度も説明が聞きたいの? やり方が聞きたいの? と何度も確かめる。こたえをしりたがる彼に最後は根負けして答えをおしえる友達。答えをかいたノートを、先生に見せる。先生は真剣に、まっすぐ叱る。答えだけを書く彼に。そのやりとりを自分のこととして受け止める他の子どもたち。次の日、答えではなくやり方を友達にきいているシンくんがいた。

グループ討論は短い時間だったが白熱した。「わからないといえるか」をキーワードにさまざまな意見が飛び交う。

「子どものころ、こんな学校で習っていたら今と違っていたのではないか。この子たちみたいにわからないといえるようになりたい」
「自分一人だったらただ見ているだけだった。みんなで見て意見を交わすことで、自分自身もみんなも色々考えることができた。」
「久しぶりに例会らしい例会だった。以前みたいに県例会があるといい。」
参加した人それぞれが学ぶ例会だった。

例会を通して同友会と他の異業種交流会の違いが明らかになった。それは同友会が「学びあう」ことに焦点を当てているということ。教育というと普通は教え込む。同友会で言う「共育」「学び」は、会員同士で互いに学ぶこと、社員と学び合うこと。

同友会は以前から教え込むことから学び合うことへの転換を呼びかけてきた。それが、「学び方を学ぶ」であり、「2回ひねり」である。子どもたちの姿はまさに共育だった。

同友会でよく取り上げられるユネスコの「学習権宣言」は言う。

  • 学習権とは、読み書きの権利であり、問い続け、深く考える権利であり、想像し、創造する権利であり、自分自身の世界を読み取り、歴史をつづる権利であり、あらゆる教育の手だてを得る権利であり、個人的・集団的力量を発達させる権利である。
  • “学習”こそはキーワードである。 学習権なくしては、人間的発達はあり得ない。
  • それは基本的権利の一つ
  • と我々に迫る。

人間らくし生きるための権利の一つが「学ぶ」だ

「学習権宣言」を通してみるとき、同友会でいう「学び」も、14人の子どもたちの「学び」も人間らしくあるための営みだと言うことが確信できる。

県央支部10月例会 グループ討論時の様子

[文責](株)共立
石綱知進

栃木県中小企業家同友会

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