No.147_コラム

コラム

私と中小企業家同友会1

株式会社イシカワ 代表取締役
栃木県中小企業家同友会 副代表理事 石川大樹

石川大樹氏の写真

私が同友会に入会してはや11年になる。その年は東日本大震災による電力不足により、県例会会場の廊下が消灯されており真っ暗で、初めて例会に参加した日、入会したばかりの私はどこへ行けばよいのかすら分からず、戸惑ったことを覚えている。そんな初日の感想は、「経営について、こんなにいろいろな話のできる会があったんだな、いいところが見つかって良かったな。」というようなものであった。もちろん、当時は労使見解だとか、経営指針など、同友会の核となるものなど知る由もない。それでも、「経営者としての自分を磨くならここだ!」と思ったことは今でもはっきり覚えている。

入会して2年ほどは単なる一会員として参加していたのだが、ある日、いつものように例会に参加した後の懇親会の時だったのだが、ある先輩から唐突に「石川ちゃん、来期から理事やってみない?」と言われ、私が「えっ、俺ごときにはまだそんな大役は早すぎないですか?」と返答したところ、「大丈夫、大丈夫。じゅうぶん務まるし、石川ちゃんが理事になるって推薦して反対する人なんかいるわけないよ。」とのことだったので、見かけによらず体育会系で、「返事はイエスか、はいの2択。」という教えが染みついている私は、「わかりました。よろしくお願いします。」と返答し、その次年度から理事を務めさせてもらっている。

理事として参加するようになった同友会は、経営者としての私の考え方や、同友会に対する思いにどんどん変化を与えていった。それは、理事会に出席して同友会に参加ではなく、参画するようになったことや、経営指針や労使見解について学び、全国行事にも積極的に参加するようになったことが大きいと思う。

充実した活動をしていると自己満足しつつ支部例会に参加したある日、支部例会終了後の懇親会で、参加してくださっていた他県の先輩から、関東の青年部で開催しているフォーラムに参加してみないかと誘われた。体育会系の私は二つ返事で快諾し、参加することになった。それから間もなく、私が報告者を務めさせてもらった県例会でのことであるが、当時、中同協から毎月参加してくださっていた国吉氏から、「石川さん、報告の枠を一つ押さえておくから青年経営者全国交流会でやってみなよ。」と言われ、例によって私は二つ返事で了解し、全国大会で報告をすることとなった。今思えば、我ながらなんと浅はかで身のほど知らずであったかと反省しきりである。

立て続けに私に起こったこの2つの出来事が、栃木同友会の活性化と、青年部設立の機運を高めるために仕組まれたものだったと私が気づくのは数年後のことである。そして彼らの目論見どおり、いや、ずいぶん遅かったかもしれないが、今年度、ついに栃木同友会青年部を設立することができた。

入会して11年、たくさんの方々と出会い、たくさんの経験を積むことができた。スケジュールがきつくてしんどいこともあるけれど、それらも含めて自分自身の成長につながっていることが最近やっと自覚できるようになってきた。これからも自分自身の成長のため、また、微力ながら栃木同友会の発展のため、努力していきたいと思っている。


私と中小企業家同友会2

(株)ウィステリアコンパス 代表取締役
栃木県中小企業家同友会 副代表理事 斎藤秀樹

斎藤秀樹氏の写真

私が栃木同友会に入会したのは、東京から栃木に戻ってきて間もない2011年の秋頃。きっかけは栃木県産業振興センターから届いたメールの中にあった「社長の学校」という言葉。当時34歳で、公認会計士・事業再生コンサルタントとして、理屈と数字の世界から徹底して企業再生の経験を積んできた自負はあったが、(株)ウィステリアコンパスではまだ誰も社員として採用したことが無く、社内の人間関係を「社長の学校」で学べる点に惹かれて入会した。

そうこうしているうちに金融機関などからの紹介で事業再生の業務が増え多忙となり、準備不十分なまま県例会報告を行った。しかし何が言いたいのかが全く伝わらず大失敗。それから例会に顔を出すことが減った。それでもたまに顔を出すと、八木仁氏((株)シンデン)から気を掛けて戴き、また同じ時期に入会した同年齢の石川大樹氏((株)イシカワ)に「参加しないともったいないよ」と言われたのが、今でも記憶に残っている。

2013年には石綱知進氏((株)共立)から「共に育つ経営研究部会」を開くので、数字の専門家として参加して貰いたいとお誘いを受け、参加し講座を担当することになった。これは試行錯誤ではあったが、相手に伝わるような説明の仕方を考える良い機会となった。2016年には中同協から発表された「経営指針成文化と実践の手引を用いた経営指針セミナーが始まった。それまで自社には経営計画しか無かった。自分の発表に間に合うように経営指針を短期間で作ろうとしたが、社員さんとの対話が十分でなかったため「それは斎藤さんがやりたいことを書いただけで、会社としてやることではない」と幹部社員に言い切られた衝撃を、今でも鮮明に覚えている。でもこの経験があったから、相手の人生の沢山の時間を共有してもらうためにはどうしたら良いか、命が輝くとはどういうことかを知りたいと思うようになった。そんな時に事務局長に着任した二階堂英夫氏からたくさんの同友会文献を紹介して頂き、それが成長の大きな糧になった。

その後、短期間だったが経営労働委員長をやらせて頂いたり、鹿沼・日光支部を仲間たちと共に立上げその試行錯誤の過程で組織経営を学んだり、全国大会やブロック大会に参加して県外の仲間たちと交流を深めたりと、活動が広まっている。また、理事会の後の懇親会では、山中重雄氏((株)こぶし)にお酒を飲みながら奥様を大切にすることを教えて頂いた。

当社の規模はまだまだだが、昨年度の経営指針の振り返りの時には社員さんから「会社の質が上がっている」「時間を味方につけている」との感想が出たり、更にビジョンを語り合ったりしている。

同友会の仲間と共に成長し、それを自社に持ち帰って社員さんと共に成長し、皆で人生の充実を目指す。そんな楽しい話題でお酒が飲めるこの会をもっともっと広めていきたい。

栃木県中小企業家同友会

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