No.146_コラム

コラム

私と中小企業家同友会

株式会社フカサワ 取締役会長
栃木県中小企業家同友会 相談役 深澤雄一

深澤雄一氏の写真

今から35年前、1987年、中小企業家同友会立ち上げから数ヶ月後、代表理事で弊社のお客様、こいしや食品の小池社長様から誘われて例会に出席した。「ほーおもしろい会があるもんだ。」その時強制的に?入会となった。立ち上げメンバーといってもよい会員は30~40名だったと思います。

然しながら当時の私は37歳にて常務取締役営業本部長になったばかりで、社内に於いては支店・お客様訪問・仕入先の代理店会出席などと、例会に出る余裕がなかった。そんな訳で3年間、名前だけの隠れキリシタン?だった。

1989年になって専務取締役営業本部長となり、多少の余裕が出来てきた。代表が今井本店の今井社長様に変わっていた。それから1996年、東陽機器の石井専務さんが代表になるまで10年間で7人程代表が変わった。

石井さんと、「こんなにコロコロと変わるようでは良くない」と話したものだった。石井さんは1996年から1998年まで3年間代表を務めた。疲れたから変わってという事で私におはちが廻って来た。私も短期ではだめだと言ってしまったが故に後に引けなくなった。そのために1999年から2005年までの7年間代表を務める事となった。会社内では社長になって7年目から14年目まで、ちょうど脂が乗り切っている時だった。私にとってすべてが学びの中から実践の連続だったようです。

さて、昨今の話に変わりますが、今まで長いデフレが続きましたが、この1~2年の急激なインフレは悪いインフレの代表で「プッシュ型インフレ」と言われています。その昔、1973年~74年の第一次オイルショック、物の価格がアッという間に20%、30%と値上がりしていった。

私が大学を卒業、そして就職した時1972年4月、初任給40,000円、2年目55,000円、3年目65,000円、4年目75,000円。4~5年で2倍。6年目で10万円。なんと2.5倍の給与となった。この間に物価は1.8倍。勝った。物価に給与が。この方式のインフレは、良いインフレと言う。

これからはどうでしょう。原材料から加工品2倍UP、中間販売で30%UP、最終消費者物価はすぐに10%UPとなるであろう。さて、給与は3%にせよと政府が言う。すぐにでも5%、10%給与を上げてゆかねばならない。社員さんの幸福の為には何としても上げてゆく、その覚悟でゆかねばならない。

それ故に、企業は社員さんの幸せの道具として機能しなければなりません。1番目に社員さんとその家族への物・心両面の向上。その為に、2番目にお客様・仕入先様への奉仕。それによって3番目、社会に貢献する。結果として4番目、高収益体質となる。これが企業のあるべき姿です。中小企業家同友会メンバー社員さんの幸せを願いながら筆を置かせて戴きます。

栃木県中小企業家同友会

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