Posted on 2016年6月25日(土) 07:00
活動報告 03 5月県例会(設営/理事会)
同友会運動に誇りと確信を持ち、栃木での発展を

国吉昌晴氏
5月18日にコンセーレにて、中同協顧問の国吉昌晴氏を報告者に迎え、5月県例会が開催された。
栃木県ではなかなか実感できないが同友会は、実はすごい。全国では7年連続最高会勢を更新、直近では年間1000名以上増やし、5万5000社を超えている。
約70年近い歴史の中で「三つの目的」や「労使見解」が真剣な議論の末に確立されたエピソードは、すべてを見てきた国吉氏ならではのものであった。
「中小企業こそ日本経済の主役」という誇りを胸に、自らの経営と共に経営環境の改善を目指してきた苦闘の歴史は、私たちに誇りを与えてくれた。そして、グループ討論を中心に学びあい、育ちあう会活動は同友会独自の魅力であり、会員企業発展のカギとなっていることを確信した。200名に満たないころの北海道同友会に就職し、会員拡大に奔走した体験談は、まさしくその会勢で苦労している私たち栃木同友会に対する、何よりのエールであった。
[報告]県北担当理事
小山研一/(有)赤札堂印刷所
Posted on 2015年8月1日(土) 12:00
発行日:2016年 2月25日
発行者:栃木県中小企業家同友会
〒321-0968 栃木県宇都宮市中今泉2-3-13
TEL 028-612-3826 FAX 028-612-3827
E-mail:t-doyu@ninus.ocn.ne.jp
URL:http://www.tochigi.doyu.jp/
企画編集:広報委員会 印刷:有限会社 赤札堂印刷所
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Posted on 2015年8月1日(土) 11:00
連載 01 私たちは「中継者」(下野新聞 2015年2月11日掲載)

当社は創業48年を迎える。父の後を継ぎ、私が社長となり、19年が経つ。引き継いでしばらくして「会社を創った時、こんなに長く続くとは思わなかった」と父がつぶやいた。
当時、父が社長の時には出なかった問題が噴出し「まったく後のことを考えていない!」と少しイライラが募っていたが、父の言葉で「創業者」を陸上競技になぞらえ理解した。
父親たち「創業者」は100メートル走だと思いスタート。それが200メートル、400メートル……、そして長距離となり、競技場を出てマラソン。疲れてきて「ああ、これは駅伝だったのか」と悟る。そして、そこから誰にタスキを渡すのかを考え始めるのか……。
「中小企業家同友会」は1957年に東京で誕生し、全国47都道府県、約4万4000人の会員を擁する経営者団体である。個人事業主を含む中小企業経営者とその後継者、それに準ずるもので構成されている。
58年前、なぜ「企業家」という名称を使って設立したのか経緯はわからないが、私はこの言葉に引かれる。
「企業家」と「経営者」は同義語で、「企業家」の「家」は「者」と同じ意味だ。しかし、武道家、茶道家などの「○○家」は、伝統技能などを継承する者を意味する。結婚式の看板、「○○家」は一族や家族全体を意味するが、夫婦・親子の綿々としたつながりも想像させる。さらに大きくなると「国家」だ。「家」という字は背景に縦軸と横軸、つまり「広がり」と「歴史」を背負った字だと思う。
いろいろな方から「企業は永続するのが原則」と教えられてきた。構成する従業員と代表、さらに大半のところは仕事も入れ替わることにより企業は存続する。
そのためにまず「企業家」は、その代表として、先代たちが創り上げ、守ってきたものを理解し、良いところは継承し、おかしなところは改革して、企業のかじ取りを行う。そして引継ぎ時期に向かって、先代からのものと自分が積み重ねてきたものを次の世代に託していく。
ところで昨今、後継者がいないことによる廃業が問題となっている。私は、この「後継者」という言葉に違和感を覚える。「後」の字に「前編、後編」で物語の完結を連想させられるからだ。
私は「後継者」ではなく、「中継者」の方が妥当だと考える。
後任を選び育て、次の「中継者」が意気揚々とスタートできるよう準備することは、前の「中継者」の仕事である。
タスキを渡したとき、「後は俺に任せろ!」とスタート。その背中を「頼もしい!」「あいつならできる」と感じながら送り出すことは、私たち「中継者」の夢だ。
当社に父の創るものにあこがれて入社してきた者がいる。私たちもこの父親のように、先ずは「あこがれ」や「目標」とされる「中継者」でありたいと思う。

八木 仁(やぎ・ひとし)
栃木県中小企業家同友会代表理事。
神奈川県出身。民間企業に勤めた
後、1985年に熱成形加工のシンデ
ン(本社・小山市)に入社、97年
から社長。「成長戦略の根本は人」
とし全社員の年齢を構成表で管理。
先輩から後輩への技術伝承に力を
注ぐ。小山高専地域連携協力会副
会長。法政大卒。茨城県古河市在
住、55歳。
Posted on 2015年8月1日(土) 10:00
連載 02 教えることは「共育」(下野新聞 2015年3月18日掲載)

私が大学を卒業し、採用してくれた会社は工業資材扱う商社だった。急成長中の会社で4月に入社すると、夏までには第二新卒、翌春には後輩ができるという状況だった。
そこで3年間お世話になり、父が創業した弊社に戻った。当時は自分より下の社員はわずかで、ちょうど10歳上が集中していて、自分の間に社員はいなかった。同業者も似たようなものだった。
私は団塊の世代より10歳下で、14歳の時に石油ショック(1973年)を経験した。日本は高度成長期で企業はそれまで継続して新規採用をしてきた。その後、石油ショックを機に今までより低成長となり、特に弊社のような製造業は採用控えるようになった。石油ショックから10年、私たちが23~25歳の就職年代に入ったころから各企業が採用を再開した。弊社もその時期、新卒者の定期的な採用ができなかったため、年齢構成に空白が生まれた。
しかし、以前勤務した会社は、市場が拡大していたことから採用を続けていた。入社して後輩ができたばかりでなく、先輩も一つ上、二つ上、三つ上とそろっていた。両社を見て、とりわけ社員教育に違いを感じた。
10年間後輩ができなかった人は、苦労して身につけてきたことでさえも、「当たり前のこと」と忘れてしまうようだ。教え始めて「なぜ理解できないのか?」となり、教えるのが面倒になり、最後は「見て覚えろ!」に落ち着く。
新卒者は、先輩や会社の教え方が悪いとは考えられないので、この会社は自分にはあっていないと考え速攻、退社してしまう。
前の会社では、指導の中心は入社2~5年の社員で自分たちが「わからなかったところ」「失敗をした事例」から教えてくれた。大先輩から緊張して教わるのとは違い、気安かった。象徴的だったのは全社的に「教えることと覚えることの限界」を意識していたことだろう。わからないことに対して、お客さまも含めて、周りに「聞く」ということを徹底的に仕込まれた。特に「聞けなかった」ということに対しては「なぜ聞かなかった」とよく叱られた。
このような経験から苦しい時もあったが、弊社はこれまで、毎年のように新卒者を採用してきた。そして前の会社で行われてきたように、入社3~4年の社員が中心となり新人を指導してきた。
数年前、新入社員として「一から十まで」教わっていた社員が、自身も大変だったという気持ちが残っているので、根気強く新人を指導してくれる。その社員たちは後輩ができたるたびに成長し、頼もしくなっていく。
上司や周りの社員も、新卒者がきちんと理解していたかを確認ができる。新入社員がよくつまずくところがあれば、全社的にどうすればよいかも検討できる。中小企業家同友会では「共育」「共に育つ」という言葉を使う。新卒者を採用していくことは、まさに、「共育」のベースとなっている。
Posted on 2015年6月15日(月) 12:10
発行日:2015年 6月15日
発行者:栃木県中小企業家同友会
〒321-0968 栃木県宇都宮市中今泉2-3-13
TEL 028-612-3826 FAX 028-612-3827
E-mail:t-doyu@ninus.ocn.ne.jp
URL:http://www.tochigi.doyu.jp/
企画編集:広報委員会 印刷:有限会社 赤札堂印刷所
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